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京都 茶から・・・

 大徳寺は、千利休と関係が深く (大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた) 、利休切腹の原因ともなっている。千利休とはもちろんわび茶を完成させた人である。

 それとは、関係なく、大徳寺のすぐ近くのそば屋でうどんを食べたのだが、そこで出されたお茶。そう、京都では普通のほうじ茶(番茶)なのだが、京都のほうじ茶は家族の知っているほうじ茶と全く味が異なるため、それを知らずに買ったときには、家族みんなが「この茶はいたんでいる!」と騒ぎ出すという有様だった。

 僕が帰って飲んだときには、この茶は京都のお茶の味というと、家族は納得したものの、飲めないということで、以後は時折、僕しか飲んでいない。

 この味は、最初に出会ったのは小学校の時であった。その当時我が家で、茶といえば夏は麦茶、それ以外の季節は「青柳」という緑茶を飲んでいた記憶がある。その時、母の友人の息子が僕の同級生で、そのつてで、一緒に浄土宗の子ども会の催しで、知恩院をはじめとして、比叡山延暦寺やいろいろな寺に泊まり親しむという催しがあった。九州をはじめいろいろなところから見知らぬ小学生が集まり、多分1泊2日か2泊3日だったと思うが、夏休みに行った記憶がある。その時に飲んだお茶が、当時飲んだことのないお茶で、帰ってから家族に、お寺で飲んだお茶が線香臭い感じだった、というと、ほうじ茶だろうと聞かされ、その時頭の中に浮かんだ漢字が「法事茶」だったのである。お寺イコール法事だったので、いかにもすっきりとしているので、それ以後ずーっと、ほうじ茶といえば、「法事茶」というイメージがあった。で、結婚後、家内の実家は茶といえばほうじ茶だったので最近、何気なくネットで調べると、ほうじ茶って「焙じ茶」と知り、かなりのショックを感じた記憶がある。

 今日飲んだお茶は、間違いなく、小学校の時飲んだ「法事茶」で、焙じ茶なのである。家内は普通に飲んでいたけれど、家では、多分、また僕しか飲まないだろうし、それが無くなれば、もう買うこともないだろうと思う。

 大徳寺・・・・まさか、千利休から、番茶の話になるとは思ってもいないことだろう。
by mountains | 2010-11-21 23:23 | 雑記帳